自分をもっと大切にしてもいい。

いつもそうだった。私はすぐに誰かのエネルギーの下に入る。
そしてまたそうだった。
そのことに気が付いてから、1年と2カ月くらい。
自分の心と向き合う中で、長く縛り付けられてきた、正確には、自分で自分自身を縛り付けてきた観念から抜け出すトレーニングをしてきたにも拘らず、まだそうやって幻想のゲームの中で遊んでしまう。
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私たちは私たちの両親から生まれてきた。
そして、私たちの両親は、そのまた両親たちから生まれてきた。
その私たちの両親の両親の両親は、そのまた両親たちから生を受け、命を繋ぎながら生き、進化してきた最先端テクノロジーの肉体の存在が、今ここにいる私という‘命’だ。
宇宙はそんな風にいつも私たちの身近にあって、遠い遠いところの物語でもなく、
今ここにいる私たちは、
どこにピントを合わせるかでいつだって宇宙と繋がって自由に軽やかに生きられる。
私たち一人一人が、宇宙から「さぁ幸せになっておいで、地球ライフを楽しんでおいで、
悦びも悲しみも閃きや怒りもありとあらゆる感情を経験して魂を成長させておいで。」と
送り出され、同時に自ら志願して降り立った価値ある尊い光の存在なのです。
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魂と身体には深く記憶が刻みこまれていて、それには今ここの地球暮らしを生きづらくしているものいくつかある。私にとっては、その一つが、誰かのエネルギーの下に入ること。
これまで自分が持っていたものに似た負の癖を持つ相手に対面したとき、知らず知らずのうちに、自らそこに共振しにいくこと。何故なら、今まで居た場所にいた方が、自分にとっては、たとえそれが苦しい場所であっても、心にとっての住み慣れた居場所。慣れ親しんだ感覚の為、居心地がよく、無意識にそこを離れたくないと思ってしまうからなのです。
気分良く出掛けて行って、気が付いたら、疲れ始めて
あっという間に疲労困憊になっていたり。
楽しい時間を過ごしてきたはずだったのに、
帰宅してから回復するまで、丸一を費やすといった経験。
そのとき気にならなかった(正確には違和感は感じていることが多いが気が付かない)
負の感情が翌日以降に大爆発する経験。
それは、それまでに紡いできた過去の過去の過去の、いわゆる負のカルマの癖と、
生まれてからこれまでに自分自身が形作ってきた観念が
縦糸と横糸のように織りなされてできた結果。
今自分自身が行き詰っている状況を織物の糸を解くように
ひとつひとつ、ゆっくりと解きほぐして理解していく必要がある。
「自分でできるんだよ。」
「自分にしかできないんだよ。」
「自分だからできるんだよ。」
そうやって、自分をもっと大切にしてもいい。
今だからやっと、そう思えるようになった。
誰かのエネルギーに反応してしまうのは、
その相手にかつての自分のエネルギーをどこかまだ自分の中に感じているから。
自分を見ているようで気になるから。
気になって救いたいと思うから。
救いたいと思う程、優しさという大きな愛を持った自分がいるのを知っているから。
だけど、その優しさは、使い方を間違えると自分も相手も救えない。
エネルギーは正しく使う。心の向け方は正しく使う。
自分を置き去りにして、誰かに注目してしまうと、相手は自分に寄りかかる。そして助ける。相手を助けたと思った自分は、それを自分の価値だと勘違いする。相手はもっと助けてほしいという。自覚が無くても言葉にしなくても、互いにそうしている。価値を感じた自分はもっと相手を助ける。それなしには生きられなくなる。何かをしないと価値を感じられない自分と、助けられないと立てない相手ができてしまい、互いに依存し合って癒着していく。
それはとても苦しいし、お互いの為にならない。
だから誰かのエネルギーの下には入らずに、自分を苦しめたり傷つけたりしないように、
自分を差し出さないこと。大切にすること。価値を感じること。愛すること。
自分を愛するのと同じように相手を尊重すること。
互いの成長を見守ること。
余計な口出しをしないこと。
それは相手を信頼すること。
本当に自分を大切にすること、相手を思いやること、愛することとは、
いったいどういうことか
きっと魂の奥底では、それを知りたかったのに、
「そんなもの」と投げうって、人生の半分以上を過ごしてきた私が、
ツインレイという概念や宇宙との繋がり、その仕組み、これまでの負の体験から学んで
同じようなところで躓いているひとたちにとって
何らかの気づきに繋がる部分があればよいなと思って書きました。
人生は学び続ける魂の旅。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
miki*